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雑談や人付き合いへの苦手意識を手放す方法

雑談や人付き合いが苦手な意識は「眠っている」

さて、今日はちょいとしたリクエストをいただいたので「雑談や人付き合いが苦手な人の心理」とその心理的な解決方法について考えてみました。

雑談が苦手な人の心理、なぜ雑談がうまくできない理由、そして楽しめる自分への変化について簡単にまとめてみようと思います。

思った以上に長い記事になってしまいましたが、よろしければどうぞ。

「私、雑談や何気ない会話が苦手なんですよね。だから人と馴染むまでに時間がかかるんです。今度転勤になるんですけど、また新しい人間関係を作るのかと思うと憂鬱なんです。」

「今度子供が生まれるんですけど、昔から雑談が苦手で友達つくりが下手なんです。だから、ママ友が作れるかどうか不安で。夫は気にしなくていいし、普通にすればいいっていうんですけど、そもそも普通ってなになのか分からなくて。」

このように雑談が苦手で、ついつい人と馴染めない、人との距離を作ってしまうというお話を伺うことがありますね。

もちろん実際のカウンセリングで「雑談が苦手だ、解決したい」というご相談だけを伺うことは稀で、恋愛や結婚に前向きな気持になれない、仕事に行くことが億劫、いつも疲れてしまいやすい、といったご相談の中に隠れていることが多いものなんです。

ただ、今まではぶっちゃけ「人と関わらなきゃいい」「リアルな世界で関わりを持つより、ヴァーチャルな世界で持てばいい」と考えてしまう方も少なくなくて、だから問題が持ち越されているケースが多いんですよね。それがいいかどうかは別にしてね。

しかし、自分自身の結婚、出産、引っ越し、転勤、転職などで新しい人間関係を持つことを求められる状況に置かれたときに問題となって悩み始める、といったご相談を伺うことが多いんです。

 

雑談や人付き合いが苦手な人の問題&才能は「気を使いすぎること」にある

さて、雑談や人付き合いが苦手と感じておられる方ほど、意外と人と関わる能力は十分であり、周囲に優しさを届け、配慮ができる人が少なくないもの、と僕の経験から感じているところです。

これを話すと「えーそんなことないですよ」と必ずといっていいほど言われるんですけど、ね。でもそうなんですよ。

なぜなら、それほどまでに人との関わりで、悩み、気を使っているから。

もちろん、悩むことや気を使いすぎることで疲れてしまうことは辛いことですよね。

それが辛くて対人関係を切り離したり、必要最小限の関わり合いの中で生きている方もいるかも知れません。

ただ、ここまで人に気を使っている状態って、いいか悪いか別にして「人との関わりに、たくさんの興味やエネルギーを注いでいる」と考えることもできるんですよ。

だから、雑談できないだとか、人付き合いで悩む人ほど、人の気づけないところに気づけたり、細やかな配慮ができたり、人の存在そのものを大切に扱える可能性を秘めているのです。

僕たちの心理学では「痛みは優しさに変えられる」といいますし、どんなことでも失敗して痛い思いをすると、そこから学べることもあり対処法も分かってきますよね。

それらは「人を喜ばせる能力」に変換できるものです。

これが僕のお伝えしている答えです。

そして、雑談や人付き合いの悩み・問題をつくるものとは、「自分が人への興味・エネルギーを使う動機にある」と僕は考えています。

 

人付き合いや雑談が苦手になる理由

心理学には自意識という言葉があります。

自意識とは自分と人とは違うという認識のことで、それ自体が問題になるわけではありません。

問題は、この自意識が過剰になっているときなんです。

自意識が過剰に強まると、そこに怖れが生じ、問題意識が生まれます。

つまり「人と自分は違いすぎる」という部分から怖れが生じるわけです。

すると、その怖れに意味付けをしたくなり、「自分は劣っているのかも」「自分は〇〇ができないからダメじゃないか」といった意識が強くなっていく場合があり、これが問題を作っていく、というわけです。

つまり、雑談や人付き合いが苦手だとしても、それ自体が問題ではないってことなんです。

実際に、雑談や人付き合いが苦手でも「別にそれでいいじゃん」と心から思えている人もいますよ。探してみると意外と身近にいると思いますから、一度話を聞いてみるといいですよ。

ただ、雑談や人付き合いができないことで、今の自分を隠そうとすればするほど、ついつい自分をネガティヴな意味で恥のように扱ったり、人と比較して劣っていると感じる場合があるわけです。

ここでさらなる「怖れ」が生じるわけです。

「うわーこんなダメな自分がバレちゃったらどうしよう、絶対にひかれるわー」みたいなね。

この怖れが自分を隠したい、人に嫌われたくない、という思いを作ります。

その結果、うまくやらなきゃ、ちゃんと喋らなきゃ、と思いすぎて疲れ果て、「雑談が苦手」「人付き合いが怖い」という観念をさらに強化していく人も少なくないでしょう。

すると、「人とうまく付き合えない私はダメだわ」と決めつけちゃいますし、「そんな自分を知られなくない」「そんな自分が関わっても相手は喜ばないんじゃないか」といった事を考え始め、更に自分で自分を隠し、人と関われなくなっていくわけですね。

その結果、人との関わりを逃げるように避けたり、ときには「雑談や、人付き合いの意味なんてあるの?」とそもそも論を考え始めてしまうこともあるでしょう。

 

・・・このループの中にいると、雑談や人付き合いはまさに「苦行」になりますよね。

なぜなら、人付き合いをする場面に出くわすたびに「自分はうまくできない」といった罪悪感や劣等感を感じることになるわけですから。

そりゃ人との関わりを避けたくなるだろうな、と僕は思いますよ。

ただ、あなたが避けたいのは人ではなく、人と関わるときに感じる「自分の中の罪悪感や劣等感などの感情」なんです。

人から遠ざかりたいのではなく、自分が感じている感情から遠ざかりたいのです。

そして、そもそも人のことはなかなか変えられませんが、自分の感情は自分の意識・やる気次第で変えられます。だから問題は解決できるんです。

しかし、そこを誤解したまま、つい周囲の人を強く拒絶したり、批判や攻撃すると、今度はまた別の問題・トラブルが起きるのでどうか注意してくださいませね。

 

とにかく悪影響を与えたくない人々 〜相づち一つでも考えこんでしまう〜

とかく気を使いすぎている人ほど「相づち一つ」でも、深く考えてしまう場合があります。

「あのとき、あんなこと言ってよかったのか?」「あの人に「うんうん」といったけど失礼じゃなかったか」「相手の気分を害したのではないか」なんてことを考えてしまうんですね。

すると、今度は相づち一つ打つことにもためらいを見せるようになり、いつしか周囲から見ると「何も話さない人」になってしまうこともあるとかないとか。

ただ、何も話さないと、周囲は「あなたが何を考えているかわからない」と感じますから、余計に警戒されちゃうんですよね。分からないものは怖い、の法則で。

すると、余計に人間関係がギクシャクしちゃったり、関わりづらい雰囲気が醸成されるものともいえます。

 

もし、人と関わって、相手の気分を害したようなことがあるなら、訂正したり、素直に謝罪したり、次に取り返せばいいだけなんです。

が、そもそも雑談や人付き合いが苦手な人ほど、そこに自信がないものだから「あれでよかったのか?」という後悔や不安が消えない場合もあるようです。

それほどまでに「自分が人にいい影響を与えられる」と感じられていないわけですね。

 

ただ、それは誤解で、繰り返しになりますけど「人をいい気分にさせ、喜ばせる能力」が備わっているものです。

気持ちのいい挨拶だってできますし、笑顔で接することだってできるでしょう。

話もウンウンと丁寧に聞くことだってできるし、それ面白いね!と共感することだってできるでしょう。

しかし、自分を隠したいと思っていると「触らぬ神に祟りなし」じゃないですけど、「とにかく自分を隠しつつ、相手に悪影響を与えたくない」と考え、失敗を避けたくなるものでしょう。

だから、自分から何も表現しなくなり、肌で人付き合いについて学ぶことができずにいる場合もありますね。

それほどまでに自己嫌悪や防衛、罪悪感や劣等感は、何もできない自分を生み出すもの、といえますね。

 

 

「変な人だと思われたくない」と感じる理由

また、雑談や人付き合いが苦手な人ほど「人から変な人だと思われたくないんです」と伝えてくださる方もいます。そのお気持ちは痛いほど伝わってきますよ、ホント。

ただ、この時点で「自分は変なんじゃないか」と自分で疑っていることが分かります。

ここでの「変」とは、自分の個性が変という意味ではなく、「自分は毒、邪魔、迷惑」といった罪悪感を意味しています。

「自分は相手にとって毒、邪魔、迷惑な存在なのではないか」と疑っているわけです。

だから、人付き合いで悩み、人に相談すると「それは考えすぎだよ(別にあなたは毒でもなんでもないよん♡)」とよく言われちゃうわけですね。

信頼できる友達など、多くの人はあなたを毒だとは思っていないってことですよ。

ここで、「そっか、自分は毒じゃないし、人は信頼してくれてるんだ」と思えれば癒やしの方向に進みますけどね。なかなか悩んでいる本人はそう思えないものですからね。

「考えすぎ」と言われると、つい「あぁ、私の悩みを軽く扱われた」と捉え、せっかく相談したのに無駄だったと、さらに対人関係に対するイメージを悪くする人もいます。

おそらくその意味は逆なんですけど、さらにその逆を捉えてしまうというのが切ないところですね。

これは「自分が自分を良いものではないと感じているので、人からもそう言われていると感じる」という「投影の作用」がありとあらゆる場面で生じている、というわけです。

 

ただ、それはちょっと先に書いたような誤解が含まれているように僕は思うのです。

雑談や人付き合いがうまくできない自分を、あなたは毒だと感じているかもしれません。

しかし、周囲の人がそう思っているかどうかは、また別の話です。

自分の感情を根拠に全てを判断していないかどうか。

その事実に気づき、現実と自分の感情の線引ができるかどうか。

そこがこの問題を解決する大きなポイントになりますよ。

 

 

罪悪感で人と関わらない。愛を選んで表現する。

さて、そもそも「雑談や人付き合いが苦手な人」って、「相手の気分を害したくない→できればいい気分にしたい」けど、「それができずに悩んでいる人」ですよね?

人をいい気分にさせられない自分が嫌→人をいい気分にさせたい人、ですよね?

そもそも否定形の言葉では癒やしなんて起きませんから、このように肯定形にして認識しすることをオススメします。

だとしたら、あなたは

そもそも人の話の腰を折って嫌な気分にさせようなんて本気で思ってないでしょ?
お前の話はいいから私の話をちゃんと聞けよ、バカ!とか本気で思っていないでしょ?
人を支配して自分の言うことを聞かせたいと思っているわけじゃないでしょ?

むしろ、そういった人を見て「なんであんなことができるの?」と思いませんか。

 

だとしたら、あなたに罪悪感はふさわしくないと思いません?

めっちゃ優しいし、上手に人と関わりたいと願っている、配慮のある人じゃないですか?

あなたほど人を丁寧に扱いたい、できればいい関係になりたいと願い、人間関係の重要性を認識している人はいないのではないでしょうか?

もちろんあまりに長い間、一人で人間関係で悩みつづけると、どんどんと罪悪感が心を支配し、ついには恨みつらみが出てきて人を呪いたくなるようなこともあるやもしれませんが、それもこれも「人とうまく関わりたかったから」ではないでしょうか?

だとしたら、そもそもあなたは人を喜ばせたいと願っている、とても素晴らしい人ではないでしょうか。

 

少なくとも僕の前では、そう認識され、その自分に戻るプロセスをご提供することになりますよ。

そのために僕は「あなたが罪悪感を選ばず、素晴らしい自分、愛を選ぶこと」をオススメしながら、そのお手伝いをさせていただくわけです。

それは罪悪感ではなく愛にふさわしい自分を選び、自分自身がいい気分、愛を感じていくプロセス、とも言えます。

 

 

が、そうは言えども罪悪感ってなかなか強力に作用するんですよね・・・。

分かっていてもなかなか手放せないものともいえますし、僕たちが扱うにしても、かなり手強い感情の一つといえます。

なので、今から癒やしを目的にして言葉を綴っていきます。

ここからは「あえて」ちょっとパンチが強い言葉を続けますのでご了承ください。

あなたはいつまで人を自分の罰に使うのですか?

いつになったら、友達、家族、仲間、パートナー、みんなを使って自分を傷つけることをやめるのですか?

誰もあなたの罰になりたくないのです。

そもそも人を自分の罰にして、自分から素直に関われるわけないと思いませんか。

余計にビビって、申し訳なくて、関わりにくくなるだけでしょう。

 

あなたはいつまで周りの人に、罰の役を背負わせるのですか?

それはとても一方的な愛のない態度です。

誰もあなたの罰になるために生まれてきたわけじゃありません。

早くあなたの周りの人、あなたの大切な人を、あなたの喜びにしてあげてください。

それができるのはあなただけです。あなた以外には誰もできないことです。

 

そして、あなたも誰かの罰になる必要もありません。

あなたは罰がふさわしい人でもなければ、ダメでもありません。

あなたによって、喜んだ人、助かった人、出会えてよかったと思う人がどれだけいるか、真実を見てください。

そうすればきっと自分がどのような存在かに気づけるはずです。

これは全てあなたではなく、「罪悪感」に向けた言葉ですので念の為。

あえてパンチを強めにして書いた理由は、「罪悪感は愛のふりをして(過剰な遠慮など)、人を使って自分を罰する動機を作り続けるもの」だから。

人を自分を傷つけるものにするコト自体が、自分や人に対する罰。

罪悪感はどんな手を使ってでも、自分は罪だ、毒だ、と感じさせ、自分を罰する状態を作るわけですよ。

ここに気づけるかどうか。

どうあれ、「自分の周りを罰だらけにする」ことが罪悪感の作用そのものです。

そして、次にサクサクっと癒やしについて書きますよ。

あなたが人を罰に使った理由、それは人を愛したかったからです。

 

僕たちが自分を罰する理由。それは誰かの役に立てない、喜びになれないことそのものです。

あなたが喜ばせたかった人が、相手の事情で喜ばなかったこと。

それがなにより辛くて、悲しくて、自分の無力さを感じたから、あなたは人を自分の罰にしたのです。

自分の中で、愛する気持ちを封印するために。

あなたが人に愛を向けて、愛が伝わらない辛さ・苦しさ・自分のちっぽけさを感じないためにです。

 

そもそも人を愛していたのはあなたなのでしょう。

そして、愛が伝わらなくて苦しんだのもあなたなのでしょう。

人を罰に使うしかなかったあなたもまた、もうこれ以上傷つけなかったのだと思います。

あなたは苦しい中で、ものすごく頑張ったのです。

たった一人でもがき、踏ん張ってきたのです。

 

今のあなたは、その苦しみを癒やし、もう一度愛や自分の素晴らしさを選ぶことができます。

苦しいって、言っていいんです。

自分の思いが伝わらない悔しさや悲しみを解放していいんです。

少なくともカウンセリングのやセミナーの場では、全く問題ありませんよ。

 

そして、自分を理解し、自分にふさわしいものを自分に与えてみてください。

苦しみの代わりに自分に罰を与えることは手放しましょう。

自分を癒やし、理解し、本当の気持ちに目を向けて、その気持ちを抱きしめてあげてください。

あなたには癒やしと優しさがふさわしいのでしょう。

もちろん、あなたを癒そうとすると、あなたの罪悪感は、きっとあなたに【また傷つくぞ】【お前が何をやっても無駄だ】とささやくでしょう。

その声をちゃんと聞き分けて、自分を大切にしようと思う勇気を持ってみてください。」

その上で、自分癒やしの王道とも言える「自分を認める」こと、「いいところを伸ばす」ことを続けていきましょう。

すると、人を自分の罰にして拒絶するのではなく、自分から関わる行動を取ることができるようになります。

何も難しいことから始めなくていいんです。

相手がどんな気持ちになるだろうか、どうすればいい気分になるかな、と想像しながら、気持ちの良い挨拶、相づちなどをしていればいいんです。

意識を内に向けるのではなく、外に向け、できることから関わってみる。

そのエクササイズを続けてみてください。

それがあなたなりの善意なら、それが愛を選択することになります。

うまくできなくても心配いりません、愛する経験を積めば、自ずと上手になりますよ。

こうなると「人にどう思われるだろう」という意識を手放せますから、「人の真似」もできるようになりますよ。

雑談や人づきあいが上手い人は、どんな表情で、なにを話しているのかにも意識が向き、それを真似すれば、そのうち自分のものになるものです。

ま、最後は人の言動をいい意味でパクっちゃえばいいと僕は思いますよ(笑)

真似るは学ぶの語源、真似こそが学びみたいなものですし。

最後になりますが、そもそも人付き合いや雑談が楽しめる人って、疑いがないんです。

疑い、つまり、相手を自分の脅威や罰にしていないものです。(相手を脅威や罰にすれば、どんな人も関わりにくくなりますよ・。)

なので、相手との会話、関係を楽しめる、というわけです。

 

ここでのポイントは「人を自分の罰にするか、それとも喜びにするか」です。

そのものの見方を作るものは、自分の感情次第です。

これも投影〜自分の感情を相手に映し出している〜ってことですね。