恋愛・夫婦の心理学

「我慢」は大切な人との距離と問題を作る、という話。

いわゆる「我慢」は人との距離を作るもの

この日常の中で過ごしていれば「我慢しない」なんてことはまずありえないだろうなーと思う今日このごろ。

仕事、対人関係、家族関係、そしてパートナーとの間で「我慢すること」なんてことはザラに起きるわけでしてね。

どこの馬の骨ともわからない僕のようなカウンセラーに「我慢しないでね」なんて言われた日には「どうやって我慢しないで生きていけるんだ!」と突っ込みたくなること請け合いなのかもしれません。

上司の発言がコロコロ変わったり(朝令暮改)、取引先が無茶な要求を突きつけてきたり、超絶ハードなミッションと向き合うことになったり。

パートナーがわがままだったり、子供が言うことを聞かなかったり、友達がいい加減だったり、誰かに心無い言葉を向けられたり、SNSやニュースを見ているだけでズーンと気分が重くなったり。

意外と真面目に生きてんだけどなぁ、と思っても、石に躓くように溜息をつくような出来事に出会うことなんてのは日常茶飯事なのかもしれません。

「我慢しないってねぇ、あなたは言うけどさ。でもあなただって我慢してるんでしょ?我慢してないってことはないんでしょ?」なんてお声が聞こえてくることもあるわけですよね。

もちろん僕も我慢することはあります。

それは忍耐とも言えますし、辛抱とも言えるかもしれません。

しかーし、僕はこうお伝えしているんです。

「うーん、目的がある我慢ならしゃーないですけどね。でも、基本、我慢ばかりしないほうがいいんじゃないでしょうか。」って。

ここでのポイントは「我慢ばかり」という表現にあります。

つまり、「我慢があかん」と言いたいわけじゃないんです。

毎日、必死こいて我慢して、清濁ぐっと飲み込んで頑張ってきた方に対して「そのやり方はあかんで、間違ってるで、問題やで」なんて言葉をかけたいわけじゃないんです。

それはむしろ素晴らしいことなんです。その生き様に僕は強さを感じるのです。

しかし、その素晴らしさや強さが自分の首を絞めるという自立と罪悪感(無価値感)の罠ってのも存在するんですよ。

だから、僕は「もうちっと楽に、いい加減(良い加減)で生きる方法もあるんですけどねー」なんてお伝えすることがあるんです。

一時的な「我慢」はいいとしても「我慢ばかり」だと、とある厄介な罠にハマりやすくなるのです。

だから、恋愛や夫婦関係でトラブったり、仕事でいらぬストレスを抱え込んだり、友人との関係をぶち切りたくなったり、家族と疎遠になるしかなかったり、愛する人に文句を言いたくなってしまうなんてことが起きるんです。

人によっては、我慢ばかりしてきた結果、何一つ自分の思うようにいかなくなった、なんてケースもあります。

これは多く僕にお寄せいただくご相談を解決していくために必要な視点と言いますか、まず「我慢ばかり」って部分に潜む罠に気づいていただくことが、自分自身の願望成就や成功につながるってことなんですよね。

 

我慢ばかりしていると分離したくなる

さて、僕たちがメッチャメチャ我慢してパンパンになっているとき、最も避けたいことは何でしょうか?

その答えは、これ以上の我慢、ではなく、「何かしらの刺激を受けること」でしょう。

意外と我慢でパンパンになっていても、また我慢すること(我慢するしかないと自分で思うこと)は多いはずですよ。だってそうやって世の中を渡ってきたんですから、そのやり方を否定するってことは自分の行動を否定するってことにもなりますからね。

だから、我慢でパンパンなのに飲めない水を飲むように我慢する人は少なくないだろうな、って僕は思うんです。

 

そもそも「我慢」は、自分の気持ちを表現せず実際に行動化させない、ってことでもあります。

だから、実は我慢していることを「表現したい」という気持ち・動機・目的・意図自体は自分の中に存在するんです。

あーもうめっちゃ腹たつわ〜とか、彼の心無い一言で傷ついて相手の後頭部にハイキック打ち込んでやろうかしらん?なんて気持ちになるのはそのためです。しかし、ここは我慢して行動化させないほうがいい、と気持ちを抑え込んでいるわけですよね。

そんな我慢が続けば、どうしても怒りや罪悪感を感じやすくなります。

まず自分自身に、ね。

特に日本人は怒りに対して罪悪感をぶつけて中和させるなんてことをよく行うので、この傾向は顕著です。

「めっちゃイライラするけど、イライラする自分が悪いのかもなぁ」「愛する人の後頭部にハイキック打ち込みたいって思う私は凶暴なのかしらん?」みたいなね。

だから、我慢でパンパンになっているとき、僕たちは怒ってるです、はい。

また、怒りという分離を使って人と分離し、他人からの刺激を受けたくないって思うのです。

なので、我慢でパンパンになっているときほど、人と会いたくないんです。優しい言葉を投げかけられたり、パートナーが「大丈夫」って心配してくれても「放っておいて欲しい」なんて思うのはそのためです。

 

我慢ばかりしていると人とうまく関われなくなる

また、我慢でパンパンになっていると、多くの対人関係がうまくいかなくなりがちです。

それはその方に魅力がないとか、才能がないといった話ではありません。自信がないから対人関係がうまくいかないってのはそもそもフェイクな話だろうと僕は思っています。

対人関係がうまくいかなくなるのは、そもそも「相手の影響を受けることが難しくなる」からです。

人ってのは、自分の影響を受けてくれた人のことを信頼する傾向があります。だから、相手の影響を引き受けたり、考えに同意してくれたり、気持ちに寄り添ってくれる人に好意を持つものなんです。

また、人を愛するときも同じで、相手のためになにかしてあげたいって思う、すなわち「相手の影響を受け容れたい」って思うことが少なくないものなんです。

だから、我慢でパンパンになって、人の影響を受け入れられない(刺激を受けたくない)って状態になると、人を愛することも難しくなるし、相手のことを見て理解することも困難になります。

これがまぁ音信不通になる男性の心理ってことでもあるんですけど、こりゃ余談でしたかね?

 

相手の影響を受け入れていない自分が愛されると思うか?という罠

人ってのは基本的に「見たいように物を見る」生き物です。

自分の経験、主観、感情などを使って、物事を善悪を判断しています。(感覚や直感は善悪判断が介入しないので、ちょっと違うよ)

これを心理学では「投影」といいます。

つまり、我慢でパンパンになって人の影響を受け入れられない状態になるってことは、「自分が人の影響を受け入れていないんだから、人も自分の影響なんて受け入れてくれないんじゃないか」と思うようになるってことです。

だから、私は愛されないとか、嫌われているとか、人の役に立っていないとか、自分ひとりで生きていけばいいとか、人と関わるとしんどい思いしかしない、って思うようになる。

このような気持ちの根っこには「本当は人の影響を受け入れ、誰かに貢献したいんだけど、そんな自分になれない」と思い、自分に対してひどくがっかりしている自分がいます。

ここに罪悪感・無価値感があります。

が、そんな自分を人に知られれば更に人から愛されないと思いますから、それすら隠します。隠すってことは誰にも見せない、知られないように生きるってこと。

このとき、「私は罪悪感・無価値感にふさわしい人間だ」と自分が感じますから、またこの罪悪感や無価値感の投影の世界の中で生きることになります。

すなわち、誰が自分を責めてくるだろう?罰してくるだろう?文句を言ってくるんだろう?ダメ出ししてくるんだろう?と思いやすくなる。

で、ここで、自分だけそんな思いをするなんて損だと開き直ってしまうと、人のことを悪くいい、人の欠点ばかり見て安心したり、ネットなどの隠れた世界で遠隔ミサイルを打ち込むなんてことが起きるのでしょうね、なんて僕は思っているんです。

このような話を「それって承認欲求が強いってことじゃないの?」といった視点で語られていることもあるのかもしれませんが、僕は確かに承認欲求のように見えるけど、これは自分への絶望に近いと思っているんですよ。

自分に絶望するから、その絶望すら我慢して、隠して、本当の自分を表現できないままでいるんじゃないか、本当の自分ではいられなくなっているだけではないか、と。

 

そして、ここからが最もお伝えしたいことなのですが、もしそんな自分に絶望するなら、そもそも「人の影響を受け入れられないことで絶望する」ほど、本当は「人の影響を受け入れ、誰かに貢献したい」と思う自分がいたってことになります。

そうじゃなきゃ、この理屈は成り立たないわけですよ。そもそも人に対する貢献意識がまったくないなら、自分を責めはしないでしょうし、我慢もしないでしょう。

そして、その我慢は一体何のために行われていたことなのか?を考えれば、僕はこう思うのです。

「自分は誰かのためになりたかった」

それができない自分に意味も価値も感じないから、友人の信頼、親の思い、パートナーの愛情、常時の叱咤激励などから遠ざかる。

それらが全て受け取ってはいけないものだと感じてしまう。

なぜなら、「自分は誰のためにもなれていない」と思うから。

そんな人はよくこんな言葉を口にするのです。

「私はいいから」「オレと関わらないほうがきっと幸せになる」「私じゃ不十分なんだと思います」

自分は愛されるにふさわしくないといった振る舞いをするのです。どれだけ愛してくれる人がいたとしてもね。

そして、自分自身が同じような気持ちを抱えていると、パートナーに自分とよく似た人を選ぶのです。

自分は救われなくても、相手を救いたい(貢献したい)と思うからね。

それは愛のように感じるけれど、その正体は「犠牲」なのかもしれません。相手が勝って自分が負けるという意味でね。

 

我慢ばかりしないの本当の意味を考える

まぁ僕なりに深堀りすると、我慢ばかりしている人ってのは「それぐらいしか人にいい影響を与えられない(貢献できない)」と思いこんでいる人なのかもしれません。

そこには分離がもたらす美学があるかもしれませんし、それ自体僕は理解できるんですけどね。

問題は、自らが人の影響を受け入れていること、自分の影響を人が受け入れてくれていることを理解できなくなることでしょう。

自立の問題、我慢の問題とはそういうものです。

自分が誰かにいい影響を与えていること、人が自分の影響を引き受けて支えてくれていることがわからなくなるんです。

つまり、自分も他人も「ヤクタタズ」「無意味」だと感じるようになってしまうってこと。

だから、人から愛されると「私の気持ちもわからないくせに」と痛みが吹き出し、人が支えてくれることを知ると「そんなこと望んでいない」と突っぱね、自分の価値を認めようとすると「そんなこと誰でもできる」と否定するわけです。

我慢や自立の問題は常にこのような「ヤクタタズ」「無意味」な感覚との戦いなんです。

では、ここで我慢を手放す、すなわち自分の本当の気持ちに気づき、表現することができるとしたら、さて自分は何を表現すると思います?

はじめのうちは我慢していた気持ちが吹き出すでしょうね、きっと。

怒り、不満、文句が吹き出すでしょう。

でもそんなものは氷山の一角、超表面的なものであって本質ではないのですよ。

おそらく次に出てくる感情は、悲しみでしょう。

なぜこんな辛い事が起きるのか、なぜ人は喜ばないのか、なぜこんなに頑張っているのに誰も救われないのか、そんな深い悲しみが出てきます。

そしてその悲しみに飲まれてしまった自分を、悲しみが大きすぎて本当にやりたいことを諦めてしまった自分を罰している自分に出会うでしょう。

これが「人の影響を受け容れず、誰かに悪い影響を与えることを恐れ、我慢ばかりして一人ぼっちになる自分」そのものではないでしょうか。

 

そしてその向こう側にいるのが、本当の自分です。

「人にいい影響を与えたい、できることを与えたい、支えたい、貢献したい」という自分。

しかしそれがうまくいかず、その自分が泣いていることだってあるのです。

自分では無理だった、自分の力が及ばなかった、と。だから自分を罰し、一人で生きるようになっていったのかもしれません。

だとしたら、ここでは「その涙の意味」を理解し、拭い、自分が何を成し遂げたかったのかを知ることが求められているのでしょう。

また、その涙の意味を理解し、気づいていた人がいることを知ることも大切です。いないって思いたいでしょうけど、でもどこかにいるんですよ、厄介な話ですけどね。

ま、僕はそんな人間であろうと心がけていますけど、でもどうなんでしょうね(笑)

 

つまり、僕はこの我慢の問題をこう解釈しているのです。

あなたがずっと我慢していたのは、「今の自分にはそれぐらいしか大切な人に差し出せるものがない」と思ったからではないでしょうか。

自分を追い込みに追い込んだ上で、それでも「我慢ぐらいしか人に与えられるものがない」と嘆いていたのは、一体誰なのでしょうか。

 

もしそうであるならば、その自分を許し、理解してみてもいいのではないでしょうか。

そして、自分の周り(家族やパートナーなど)に同じような人がいたとしたら、その人を理解し、許してみてはどうでしょうか。

 

そう心から理解できれば、我慢の問題はなくなります。

罪悪感が溶けていきますから、愛し合えない、関わり合えないという問題は消滅します。

 

そして、我慢ばかりしてパンパンになっている人にとって、今すぐできることは「自分の我慢の意味」を知ろうと思ってみてもいいんじゃないでしょうか。

だから僕は「我慢すること」が悪いと言っているわけではないのです。

目的のある忍耐には価値があります。誰かのために頑張る気持ちに間違いなんてないのです。

ただ、いつも苦しい我慢ばかりしてしまうなら、未だ癒やされていないのは「その我慢ですら大切な人のためになっていなかった」という気持ちではないでしょうか。

ならば、今までの自分を見つめ直してみてはどうでしょう。

我慢ばかりしてパンパンになって、人を遠ざけて来た自分の中にも「本当に成し遂げたい目的」があったと思いませんか?

我慢を手放すプロセスの第一歩はここにある、と思いますよ。

そして、「どれだけ我慢してもいい、誰かのためになっているならば」ってのは、相手の影響を受け容れていることとはちょっと違うと理解できないでしょうか。

ねぇ、我慢ばかりしているあなたを見ている誰かの気持ち、あなたから大切にしてみてはどうでしょうか。

だから、「我慢ばかりってのは手放したほうがいいですよ」と僕はお伝えしているというわけなのです。

 

うーん、今日はペトロールズ聞きながら記事を書いたのでいつもと雰囲気が違うなぁ。まぁ、そんな日もあるってことで。

カウンセリング・セミナーを利用する
カウンセリングを受ける

なりたい自分になるカウンセリングが人気!
心理カウンセラー浅野寿和のカウンセリングのご利用方法はこちら。

カウンセリングのご案内ご予約可能時間のご案内

 

あなたの質問にお答えします

ブログ読者の皆さんからのご質問に浅野がブログ上お答えする「ネタ募集コーナー」は現在も継続中。よろしければあなたの訊いてみたことを↓のページから送ってくださいね。

ネタ募集企画のお知らせカウンセリングサービス・心理カウンセラー浅野寿和です。 いつもご覧いただきましてありがとうございます。 さて唐突ですが、この度このブ...