こんにちは。

心理カウンセラーの浅野寿和です。

今日は忍耐女子シリーズのテキストでございますね。

ちょっと久しぶりに書くので、うまくふざけられるか心配ですが・・・。

さて、忍耐女子のみなさまからの恋愛のご相談をうかがっていると、かなりの確率でこうおっしゃいます。

「いや、彼に察してほしい気持ちはあるんですよ。でも、それを言うのは違う気がして。」

・・・一体何が違うのか?

そこを即座にツッコむと妙な起きるので、「そうっすよねー、そうっすよねぇ〜」とスルーする癖がついているアタシですが、

「もっと気づいてよ」
「ちょっとは寄り添ってよ」
「なんで分からへんの」

そう言いたくなる気持ちが、ゼロではないのですよね。

忍耐女子のみなさまも、きっと言いたいことはある。

けれど、それを口に出すのは、なんかイヤ。
できれば言いたくない。

というより、言った瞬間に自分がイヤになる。そんな感覚を覚えるのが忍耐女子の皆様の特徴でございますね。

よって、察してほしいことは「ほしいこと」のまま我慢することになるわけでございます。

・・・まぁ、その結果しんどくなるんですけどね。

「じゃあ最初から言えばよかったやん、なんで言わなかったの?」

と言いたくなる方もいると思いますけれども。

そのように忍耐女子の皆様にお伝すること自体「分かってないじゃん」という話につながるのでございますよ。

ということで今日は、ちょっとナイーブで複雑な

忍耐女子はなぜ“察してほしいのに言えない”のか

という、少し難解で、わりと切実な話を書いてみたいと思います。

自宅でゆるりとしながら、次第に冷や汗をかきながらご覧いただけますと幸いです。


忍耐女子は「察してほしい」と思っていないわけじゃない

まず最初に書いておきたいのですが。

忍耐女子のみなさまは、別に鈍感でもなければ、気持ちがないわけでもないのです。

こう、我慢強い人ってイメージとして「気持ちが見えない・鈍感」のように思う方もいるかも知れませんが、我慢強いと、鈍感はイコールじゃございません。

我慢しすぎた結果、鈍感になることはありますが、それは我慢の結果で、もともと鈍感だったか、という部分とつながっているわけじゃございません。

よって、多くの忍耐女子の皆様は、繊細で敏感な部分をお持ちなんですよ。

いろんなことをよく感じているし、いろいろ思案していることが多いのです。

だからこそ、恋愛の中でも

  • これくらいは気づいてほしい
  • 少しは気持ちを汲んでほしい
  • 今はこういう言い方しないでほしい
  • もう少し大事に扱ってほしい

みたいな思いが出てくることは、そりゃあるわけでございますよ。

ただ・・・そういった気持ちをそのまま出すことに、妙な抵抗を感じておられる方が少なくないわけですな。

その抵抗を一言で言い表すなら・・・

「なんか、面倒くさい女みたいでイヤ」。

これに尽きるのではないか、と。

多くの品行方正な忍耐女子の皆様にとっての「心の影」のイメージは、

いい加減でめんどくさくて、何も考えずポンポン言いたいことを言って、周りをブンブン振り回す女子(男子もかも)

のようなのです。

(そういった人はダメだという話ではなく、忍耐女子さんの影という意味ですので、念のため。)

なので、忍耐女子は「察してほしいと思っていない人」ではなく、

「察してほしいという自分がめんどくさい」

と感じているケースがとても多いわけでございます。


“もっと察してよ”と言う女子が、なぜか昔から苦手

で、ここが今日のわりと大事なところなのですが・・・。

先ほども書きましたけど、忍耐女子のみなさまの中には、昔から

「なんで察してくれないの?」
「ちゃんと寄り添ってよ」
「言わなくても分かるでしょ?」

みたいなことを言う女子が、どうにも苦手、という方が少なくないんですよね。

いや、苦手というか。

・・・実は「嫌」とお感じになっている方もいるかもしれません。

もちろん、表ではそんなこと言いませんよね。

大人ですし。

常識もありますし。

「人それぞれですしね」という理解もおありなので。

ただ心の中では、

  • うわ、めんどくさ・・・。
  • そんなふうに彼を責めるのは違うんちゃうか・・・。
  • 依存的すぎんか?何でもタダでもらえると思ってんのか?
  • 察してもらって当然、みたいな態度しんどいわ・・・。

みたいな感覚を覚えることも無きにしもあらずなのだろうと思われます。

・・・ね、心の中で何を感じているかは自由なのでね。

つまり、多くの忍耐女子のみなさまにとって

「平気で察してほしいと言う人」
「私、かわいそうと思える人」

が、自分の中でかなり苦手な女性像になっていることがあるわけです。

よって、昔から

「うわぁ、ああはなりたくない」

と思っていたりするのかもしれないですねぇ。

と同時に、実は「若干の憧れ」も抱きやすい、といいますかねぇ。

「あんな自分になる自信はゼロ、いや、もはやマイナスの領域だけれど、あんなふうになれたら私も愛されるのかしら?」

なんて思われている忍耐女子さんもいるとかいないとか・・・。

・・・ただ、それはかなり行き過ぎた認識っぽくもあるんですけどね。

あなたのスタンスはそれで良くて、いちいち「違う」と思う自分になる必要はないんじゃないでしょうか?と僕は思います。

・・・ただ、そういった人になるかどうかではなく、

「察してほしい」という気持ちを扱えるようになることには意味はありますけどね。


察してくれない相手なら、期待して失望しなくて済む

ここで、少し意地悪なことを書きますけれども。

多くの忍耐女子のみなさまが「察してほしいのに言えない」とき、

その背景には

「察してくれない相手のほうが安心・安全」

という心の動きが隠れていることもあるようです。

「え、なんで?」「察してほしいのだから、放っておかない人がいいに決まってるやん」

と思われるかもしれませんが、実はそうではないケース、多発中ですね。

もし相手がちゃんと察してくれる人だったら。
もし本当に寄り添ってくれる人だったら。
もしこちらの気持ちに触れてくる人だったら。

こちらも、自分の「本音」に近づかざるを得ないんですよね。

「ほんとは寂しい」
「ほんとは自信ない」
「ほんとは大事にしてほしかった」
「ほんとは、もう少し甘えたい」

みたいな部分に。

でも、そこは、触れたらしんどいこともあるんですよね。

期待したくなるから。
期待すると、失望も生まれるから。
寄り添ってもらえたら、次も求めたくなるから。
そのうえで届かなかったとき、地味に痛いから。

だから、最初から

「まぁ、この人はそこまで察するタイプちゃうしな(=安全そう)」
「言わなくてもわかってくれる感じではないしな(=大きな失望をしなさそう)」
「こっちがなんとかしたほうが早いしな(=何も気づかなそう)」

くらいの関係でいたほうが、どこか安心することがあるというパラドックスが存在するのですね。

もちろん、それを頭で計算しているわけではないですよ。

ただ、心の反応として起きていることがある、という話ですね。

よって、忍耐女子の皆様はなぜか「同じようなタイプの異性」を選ぶ傾向があるんです。

次はもっと優しくて気の利く人がいい、と思っても、近づいたり、受け入れるのは同じタイプ、というね。

もちろんそれはダメって話ではありませんよ。

見方を変えれば、もはや人類愛だとも言えなくもない話なので。

ただ、いつも察してもらえない虚しさや寂しさを感じるなら、このあたりに事情がありそうですね、という、極めて余計な話をしているだけでございます。


しかも忍耐女子は、なんとかしてしまう

ただ、多くの忍耐女子のみなさまは、本当に察してもらえなくてもなんとかしてしまうんですよね。

察してと言えないけど、別れない。気丈に振る舞う。

そういったことが自然にできてしまいます。

まぁ人によっては慣れすぎててもはや違和感など感じない、という場合もあるのでしょうけどね。

「そんな状態ならもっと早く崩れてもよさそうなのに」と思う場面でも、ふつうに恋愛を継続しておられる。

もちろん、それは強さでもあると思います。
愛情の深さでもあるでしょう。
相手を思う力でもあるのでしょう。

ただその強さが、結果として

“察してもらえなくてもなんとかなる関係”

という着地点を固定してしまうこともあるのです。

彼は気づかないけど、関係は続く。
あなたはしんどいけど、なんとかする。
なので、問題が問題として表に出にくい。

これ、僕のブログではおなじみの視点、

「有能さが自分を遅らせる問題」

とも言えるかもしれませんね。

・・・いや、いつおなじみになったんや、という話ですが、まぁ今そう決めた次第です。


でも結局、心の中では「なんで分かってくれへんの」が残る

ただ、そうはいえども

「なんで分かってくれへんの」

という気持ちは残りますよねぇ・・・。

ただ、この「なんで?」という気持ちも忍耐女子の皆様は隠します。

なぜなら、ここがすごく「余計な話」なんですけど(なら書くなよ)

その「なんで分かってくれへんの?」は

昔から苦手だった

「なんで察してくれないの?」
「もっと寄り添ってよ」

と言う女子たちと、同じ着地点になる、ってお分かりいただけますでしょうか?

いや、実際、同じではないんですよ。

表現も違うし、態度も違う。

忍耐女子は、もっと飲み込みますし、相手の気持ちを受け止めてますし、もっと一人で処理しようとしますし。

ただ、心の底のほうにある結論だけを見ると、

「分かって、察して、ちゃんと見て」

という場所にたどり着いてしまうわけですね。

ここが多くの忍耐女子の自己懐疑の理由になっているんです。

「結局、私の根っこは、あの苦手な人達と同じなんじゃないか」というね。

「うわ、私も結局そうなのかも」
「こんなこと思う自分、嫌」
「やっぱり期待してたんやん・・・」

と。

そうするとさらに、自分の本音に寄り添いにくくなるわけでございます。


「察してほしい」と言えないというより、自分でも寄り添えない気持ちがある

さて、ようやく長い前フリが終わりましたので、本題。

忍耐女子が「察してほしい」と言えないとき。

それは単に、言葉にするのが下手とか、甘え下手とか、コミュニケーションが不得意とか、そういう話だけではないのかもしれないわけですね。

むしろ、もっと内側では

自分自身でも寄り添いにくい気持ちを抱えている

ということが起きている場合があるんです。

たとえば、寂しさ。
悲しさ。
悔しさ。
痛み。
分かってもらえなかった感じ。
大切に扱われなかった感じ。
甘えたかったのに甘えられなかった感じ。

そういうものって、ただあるだけでも、わりとしんどいんですよね。

よって、誰かに「何が嫌だったの?」「ほんとはどうしてほしかったの?」と触れられること自体が、どこか嫌なのです。

「いや、そこは察してよ」

となるんですね(笑)

・・・「いや、どないやねん」って話なんですが、実際そんな感じになることも少なくないわけですよ。

よって、彼や夫との話し合いが、

「察してほしくない気持ちがあることぐらい察しろよ。私はなんでも”分かってほしい”という女じゃないの。そんなこともずっと傍にいてわからないなんて、あなたは私のことなんて見ちゃいないのね」

という相当シビアな攻防戦になることも少なくないわけでございますな〜。

こうなると、彼も夫も「じゃどうしたらいいの?」と言いたくなる。

けれど、それは火にに油、もとい、ニトロに着火、のようなものですよね。

「だから、察しろって言ってんだろ」

となり、そのうち「あんたに期待した私がアホやったわ」という、失望の大爆発が起きるわけでございます。

・・・とはいえです。

触れられたら困る。
まだそこ、見たくない。
なんなら、自分でも知らんふりしときたい。

そんな気持ちって誰にでもあるじゃないですか?

そりゃ「察してほしくても、察してほしいとは言えない」こともありますよねぇ。

自分でもまだ触りたくない場所を、相手に説明するのはなかなか難しいですし。

だから、ここで重要なのは

「一貫性がなく、矛盾だらけの自分」を受け止めて、「まぁしゃーない」と思えることなんですが・・・

真面目な人ほど、なぜかそう思えないものかもしれません。


言ってないのに察してこられても、それはそれで落ち着かない

つまりですね。

忍耐女子の皆さまが「察して」と言えないのは、「察してを連呼する女子が嫌だから」ではなく、

「自分でもまだ整理できていない、触れたくない気持ちを、いくらパートナーでも安易に触れてもらうのは困りますねん」

という反応で起きていることが少なくないってことですね。

こう、余計なことしか書かないどこかのカウンセラーのように、ズカズカ察してこられても、ちょっと嫌(つまりだいぶ嫌)。

でも、何も察してもらえていない感じがすると、それはそれで悲しいし、不安。

いや、どっちやねん、という話なんですが(笑)

これ、どっちも本当なんだと思うんですよね。

つまり、察してと言えない忍耐女子さんは、いちいち結論を出さなくていい、というのが僕の結論なのです。

あえてテーマを上げるとしたら

「どんな気持ちが未処理?どの気持ちを一人で処理しきれなかった?」

みたいな部分を扱うことなんですけど、まぁこの先の話はカウンセリングで扱うような話ですよねぇ・・・。

ただ、ここで起きているのは気分屋とかワガママとか、そういう単純な話ではないんです。

触れてほしい気持ちと、触れられたくない気持ちが同時にある。

よって、

「全部をふたして何も求めなきゃ、リスクも危機感もなくなるよね、苦しいけど」

という着地をしているだけなのかもしれません。


最後に

つまり、多くの忍耐女子のみなさまは、

「いま感じている気持ちをそのまま出すことが難しい」

そんな状況が続いていたのかもしれませんね。

その結果、気持ちを素直に出す自分が、昔からあまり好きではなくなった可能性もあります。

そう思わないと、忍耐している自分を支えきれなかった、みたいな事情もあるんでしょうね。

だから「言いたいこと言えばええやん」という結論は、

そりゃ言える人にとっては正解だけど、

「今までの自分の支え方を根底から折られる」ような感覚になることもあるんじゃないか、と。

よって、僕は察してと伝えることも、そう伝えないことも、どちらも大切な選択だと思っているわけでございます。

問題は、「察してよ」と「察してくれるなよ」の間で揺れる自分が落ち着かないことかな、と。

自分でもまだ察しきれていない気持ちが、どこかに残っていないか。

そこが少しずつ見えてくると、
ただ我慢するしかない恋愛でも、
ただ「察してよ!」と爆発するしかない恋愛でもない、
その間の、もう少し息のしやすい関わり方が見えてくることもありますよね。

・・・うん。

なんかもっとくだらないことを書くつもりが、意図せず真面目になってしまったことだけが心残りですが、今日はここまで。


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浅野寿和 | 心理カウンセラー/トレーナー
恋愛・夫婦・仕事・生き方の中で、「ちゃんとやってきたはずなのに」そんな感覚を抱えやすい人のご相談を多くお受けしています。 個々のご相談を心理学の視点で整理して、明快に言葉にしていくカウンセリングが人気。 キャリア17年・臨床実績10,000件/東京・名古屋・オンライン対応。リピーターさまが多いカウンセラー。口癖は「どんなことにも事情があるよね」。
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