最善への期待って確率0%とは言い切れないのです
また、そもそも僕たちが「期待するなにか」って、成功確率0%ではないことが多いんですよね。
ここもまた期待を止められなくなる理由の一つではないでしょうか。
そこに「期待したものが手に入らないとは決まっていない」という事実が存在すれば、そりゃその可能性を大切にすると思うのです。
だからこそ、一度最悪を怖れて最善を期待すると、その期待は、実際に手放す覚悟を決めるまで握りしめてしまうことがある、とも言えるんです。
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例えば、あなたが何かしらの投資をしているとしましょう。
その投資先はかつて「超優良な投資先」だったとしましょう。
が、諸般の事情で投資先の状況が芳しく無く、あなたが損してしまったとしましょうね。
このとき「あぁ、今の見通しでは更に損を重ねそうだから、ここで損切りするか」という選択もできそうです。
ただ、ここで最悪を怖れ、最善を期待するとしたら
「待てよ、昔は超優良な投資先だったんだ。もう少し待てば状況が改善して損を取り戻せるかもしれない」
と考えて待ってしまうこともあるのではないでしょうか?
ただ、もしこの時点で損を取り返すなら「より優良な投資先を見つけて投資する」方が確率的にはいいように僕は思うのですけどね・・・。
とはいえですね・・・(^^;
まぁ分かっているけど手放せないもの、ハマってしまうものが期待、とも言えそうなんですよね。
なぜならば
「最善への期待を手放す」ということは、「自分が望まない(良くない)と感じている現状を受け止める方向に進む」と感じてしまうことが多いものでもあるから、です。
客観的に情報収集をして見ているつもりでも、自分が最悪の方向に進むのでは?と感じれば、そりゃそっちに進みたくないじゃないですか?
恋愛で言うならば、「この彼や彼女といても幸せじゃないし、将来も見えない」と分かっているけど「今から一人になる」と考えると躊躇する、みたいな感じといいますかね。
特に、期待の真っ只中にいるときほど、手放したくない、手放したら失望しかない、と感じるものかもしれませんね。
それもまた否定されるべきことではない、と僕は思うのですよ。
ただ、自分自身が「もうこれ以上期待しないほうがいい」と、どこかで分かっているのであれば、そもそもその期待を手放せないことで辛くもなる、のではないでしょうか。
そんなときこそ、期待を手放すことが求められるのかもしれません。
それは何より自分自身のために、自分にとっての大切な人のために、です。
また、このような期待を手放すときこそ、そのやり方、考え方を上手に変えていくことが人生を変えるポイントになるのです。
だから、真正面から手放そうとするよりは、少し自分自身の心のあり方を見つめ直したり、物事を捉える視点を変えて見るといいと思うのですよ。
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