浅野カウンセラーへの質問
ブログの更新を楽しみにしています。
私が疑問に感じていることは「パートナーとは辛い過去(家庭環境や学校生活、病気になるまでの過程等) を共有しないといけないのか?」ということです。
(中略)
彼は私の事情を知った上で交際しています。
が、詳細までは知りません。
ある人がパートナーに辛い過去を全て話したと聞きました。しかし、その人が過去絡みで苦しくなるとパートナーも苦しみを感じているようです。そして苦しみの感じ方の違い?で喧嘩になることが増えたそうです。
そういう人達を見ていたら「複雑な過去を共有することはどちらかが過去で苦しんだ時に、どちらかが『何も出来ない……』という罪悪感?を感じさせるだけではないだろうか」と感じてしまいました。
私は結婚は焦っていません。しかし、いずれは彼と結婚出来ればなあ……と考えています。結婚ともなれば、生活を共に歩むことだと思っています。そこには私の家族や過去も関係してくる可能性があります。
やはりパートナーとは過去は全て共有した方がいいのでしょうか。
ネタ募集ネーム:雨ふりさん(一部内容を編集しています)
雨ふりさん、おまたせしましたm(_ _)m
また、ネタのご協力ありがとうございます。(一部内容を編集させていただいていますが、ご了承くださいね。)
さて、今回のご質問は「パートナーとは辛い過去を共有しないといけないのでしょうか?」ですね。
うーん、これはたしかに難しく繊細な問題と言えますね。
なので、全てのパートナーシップにおいて「辛い過去でも隠さず共有すべきである」といった個々の事情を考慮しない回答は申し訳ないけれどできないです。
何より優先されるべきは、過去のことを伝える側、聞く側のご意思ですよね。
また、ご自身とパートナーのお気持ちや心理状態、お二人の信頼関係の度合いによっても結果が違うものと言えます。
なので、これもまたケースバイケースであり、実際にお話を伺った上でじっくり検討するべきことだろうと僕は考えるのですよね。
とはいえ、たとえ隠したくなるような辛い過去であっても、それをパートナーを共有することでさらに絆が深まる場合も十分にありえることです。
そこで今回はこの難しくもあリ繊細な問題でもある「パートナーとは辛い過去を共有しないといけないのか?」について、少し考察してみたいと思います。
かなりややこしい話をザザっと書いておりますが(^^;
よろしければどうぞ。
Index
パートナーと過去を共有するメリットを考える
「パートナーとは自分のことを誰よりもよく知る他人である」なんて言葉が使われることがありますけどね。
だからでしょうか。
「パートナーとの間で隠し事があればあるほどギクシャクするよね」なんて話をみなさんも耳にすることがあるかもしれません。
まぁパートナーに対して隠したいことがあるということ自体が問題ではないのですが(パートナーへの背信行為等の場合は検討の余地あり)
パートナーに隠していることがある度合いだけ、なかなか信頼関係、心の面での絆を感じにくくなる傾向は出てくるかもしれません。
僕たちは、それがいいかどうか、望むか望まないかは別にして、何かしらの隠し事があるだけで罪悪感(後ろめたさ)を感じやすくなる、といえます。
もちろん後ろめたさを感じやすい人もいれば、そうではない人もいるでしょうけれども。
この罪悪感(後ろめたさ)が、パートナーとの関わり方に影響することがあるんですね。
どこかで「心を開いて関わることが難しくなる」という場合もあれば、「隠し事を持つことでパートナーを裏切っているような、欺いているような感覚」を覚える場合もあります。
それは自分がパートナーを最愛の人と認識していればいるほど強くなるわけです。
その結果、自分自身がパートナーからなんとなく距離を置き始めたり、パートナーの好意を素直に受け取れず喜べなくなる、といったことも起きるといえば起きるのですよ。
ここにあるのは、自他に向けられた疑い、不信感です。
この疑い、不信感を二人で共有してしまい、お互いの信頼関係や絆を損なうリスクがある場合、隠し事はしないほうがいい、と考えることができるんですね。
隠し事を伝えることが最大の信頼となる場合もある
一方、「自分が誰にも言えなかった悩みや隠し事を信頼して伝える」という行為は、相手への最大級の信頼を示している、とも言えなくもないのです。
本当の自分を見せること。
今まで誰にも触れさせてこなかった自分を表現すること。
それはまさに信頼し、自分から与える意識を持てている相手(パートナー)出ない限り、なかなか実現できないことでもあるでしょう。
つまり、「私がパートナーを心から愛している、大切にしている」という状態であるならば、誠実に過去の自分を伝え知らせることもまた信頼の証となる、と言えるのです。
万が一、ここで依存的な態度が抜けず「私はあなたを信じているのだから、絶対に受け止めてくれるよね?傷つけないよね?」と思うなら、それはあまりに受動的な態度と言えるかもしれません。
もしパートナーが受け止めてくれなかったとしたら、私は深く傷ついてしまう・・・。
そう思うならなかなか言い出せないでしょうし、その状態では僕も「あなたの過去を伝えてみてはどうでしょう?」とはご提案し難いと感じてしまいます。
なぜなら「自分がパートナーを愛している、大切にしている、相手を幸せにしたいと心から願い行動している」という状態ではない以上、自己開示が信頼の証となっていないことが多いからです。
なので、もし自分の過去を伝えるならば「二人のため・二人の幸せのため」に伝える、という動機は必要になると僕は思いますよ。
かつ「パートナーが私の過去を受け止めきれなかったとしても、私はパートナーを恨まないし、伝えたことを後悔しない」と思えるぐらいの信頼は必要になるでしょう。
むしろ、そう思えるぐらいの愛する態度、信頼があれば、今以上の大きな幸せを望むこともできるでしょう。
過去を受け止めるパートナー次第でもある
ただ、雨ふりさんもご質問の中で書いてくださっているように「過去を受け止めるパートナー」のことも検討するべきことですよね。
やっぱりこちらの勝手な判断で一方的に気持ちを伝えることにはリスクが伴います。
場合によっては、相手が「そこまで信頼して勇気を出して過去を打ち明けてくれたことは嬉しいけれど、ごめん、受け止めきれない」と感じる可能性もあるわけです。
ただ、こういったケースはいいか悪いかは別にして「お互いの理解、絆、信頼の度合いが未だ深まりきっていなかった」場合に多く見られることでもあると僕は思います。
要は、まだ二人の関係の中に遠慮が強く残っていたり、不可侵条約ではないですが「相手の領域にまで踏み込んではいけない」「いくらパートナーでも深く関わりすぎてはいけない」といった暗黙の了解が存在している状態であれば、なかなか受け止めきれないこともあるでしょう。
また、人によっては「どうしてもそれだけは受け入れられない」というこだわりもあるはずです。
このあたりの「受け止める側のパートナー」の様子や、パートナーと十分に愛情を深めたり、豊かなで細やかなコミュニケーションをはからないまま隠し事を伝えることもまたリスクといえるかもしれません。
最愛の人のすべてを受け止められない自分が辛い、という視点
さて、このような話をさせていただくと
「悩んでるのも分かるけどさ、相手の過去を知らされる側の気持ちも考えてほしいよ」
的な話を伺うことが少なくないんですよね。
「あんたは自分の過去を伝える側だからいいかもしれないけど、受け止める側のことも考えて欲しい。」
そんな意見が飛んでくることも確かにあるんですよ。
もちろん受け止める側に関しても配慮されるべきです。それは僕も同意します。
が、同時にこんな疑問を僕は感じるのです。
「どうして『あんたは自分の過去を伝える側だからいいかもしれないけど』と、人の過去をまるで迷惑、罪のような視点で捉えているのだろう」と。
実際、このようなご意見やご質問は多数いただくことがあり、このことについて僕なりに考えてみたのです。
すると、一つの考えが僕の中に浮かんだのですよ。
「これは『過去を知らせる側』を加害者のように見立てた発言だが、真実はそこにはないのではないか?」と。
もしかすると
『愛する人の過去(愛する人の苦しみやコンプレックスとなっている部分)を知って、真正面から受け止められず、愛せない自分になることを恐れているのではないか』と。
つまり、多くの方にとっての本当の願いは
『最愛の人のどんな過去も受け止めて愛せる自分でいること』
ではないだろうか。
*
ここで僕がお伝えしたいことは
「最愛の人のすべてを受け止められない自分であることが耐えられない」と感じるから、「過去を知らされる側のことも考えて欲しい(そりゃ心の準備もいるってば)」
という話なのではないか、ということです。
もちろんこれは一つの仮説であって、絶対的な真実だと言い切るつもりはありません。
が、もし私達に自尊感情があり、誰かを愛することの素晴らしさを知っているならば、自分が選んだ最愛の人の苦しみや過去ですら愛することを望むだろう、とも思うのです。
逆に言えば、それが実現できない自分こそが「最も信頼できない自分」となる可能性が高いといいますかね。
そもそも「パートナー」とは「自分の意思で愛すると選択した人」。
なのに、相手の苦しみや辛さ、コンプレックス、過去を愛せずにいる自分を「愛のない、ちっぽけな自分だ」「自分のことしか考えられられない自分だ」と感じてしまうことも十分に有り得る話。
そんな自分を感じたくないから「伝えられる側のことも考えて欲しい」と伝えたり。
「ごめん」と伝えながらパートナーから離れたり。
パートナーの過去を知ることで苦しんでしまう人が出てくるのではないでしょうか。
もちろんパートナーの過去を知っても
「んなこと織り込み済み〜」
「その程度で君への愛情が変わるわけ無いじゃん、そんな風に見くびらないで欲しいなぁ〜」
なんて、サクッと相手の繊細な部分を愛せる人もいますよ。
むしろ、そんな自分になりたいから、なれない自分を責めちゃうわけでしょうし。
だとしたら、誰も悪くないよね?と僕は思うのですよ。
過去を隠す側は「自分の過去」を
過去を知らされる側は「その相手の過去」を
どうにも上手に愛せないという苦しみを抱えてしまうとき、隠していた過去がまるで罪のように扱われるのではないか、と僕は考えるのですよね。
最後に
んー今日はなかなか難しい話になっちゃいましたけども。
このような視点で今回のご質問、そのテーマを眺めてみると、どうでしょうかね。
「パートナーとは過去を共有すべきかどうか」ではなく、どうお互いを理解し合い、信じ合い、愛し合うか、がポイントで、二人にその勇気があるか、という話なのでしょうね。
また、どのようにすれば
過去を伝える側は「自分の過去を問題とせず、自分を相手の喜びと認識できるか」
過去を伝えられる側は「相手の繊細な部分を上手にしれっと愛するハートの器や技術を持てるか」
このあたりのテーマを扱うことが重要になると思います。(これより先は実際のカウンセリングで扱わせていただくことになろうかと思いますが。)
そのために何より重要なことは
お互いが「愛する人のために自分を罰する選択しない意思を持つこと」なのでしょう。
自分を罰したり、隠していた過去を罰したり、相手を上手に愛せない自分を責め続けることなんてのは必要ないことなのですよ。
むしろ、このようなことを続けていればいつか絆は感じられなくなり、お互いを傷つけ合うことになってしまいます。
だから、僕たちカウンセラーは「愛することを選択してね〜」「自分を許しましょう〜」としこたまお伝えするわけでございますな。
*
今日のコラムは答えになっているようでなっていないかも?と不安になりますが、ガガガッと思いつくまま回答を作らせていただきました。
なにか参考にしていただけましたら幸いです。
なりたい自分になるカウンセリングが人気!
心理カウンセラー浅野寿和のカウンセリングのご利用方法はこちら。