「わたしの中の悪魔」
そんな邦題が付けられたアルバムがあるんです。
Belle & Sebastianというグラスゴー出身のアーティストなんですけどね。
彼らの4枚目アルバム”Fold Your Hands Child, You Walk Like a Peasant”
まぁ、似ても似つかない邦題ですが。
僕にとって結構好きなアルバムで、思春期を彷彿とさせるメランコリックな世界観とサウンドが特徴。
正直、昨今の彼らの音楽を思えば暗めな感じですけどね。
よければ聞いてみてくださいね。正直、好き嫌いが明確に別れるアルバムだと思うのですが。
どうしてこんなアルバムの話を引っ張り出してきたかといいますと、今日のブログに「わたしの中の悪魔」という言葉がただ使いたかった、それだけです(笑)
別に悪魔について語っているわけではありませんのであしからず。。。
これは「恋愛」や「自分を変えたい」といった自己変革のカウンセリングの中でよく出てくることでもあるのですが。
ときどき、「私の中にあるちょっとドライで、いけない私」って感じることないでしょうか?
例えば、友達と話していても、内心何だか冷めていたり、どこか適当に相槌をうっていたり、時には笑顔を作りながらも、かったりぃなぁ・・・と思っていたり。
人前、パートナーの前ではとりあえず「いい人」をやっているけれど、内心はそうではない自分を感じていたり。
そういった感覚を持っいると、例えば友達との会話の中で
「○○(あなた)っていっぱいいいところあるよ!ほんとうに優しいし気が利くじゃない~」
と言われても
「ありがとう。でも、私にはこういう部分もあるし、嫌なところ(わたしの中の悪魔)もいっぱいあるから・・・(だからそんなに凄くないんだよ・・・)」
・・・どこか褒められているのに自己嫌悪する、なんてこと起こりません?
「普段は自分の長所を人に見て欲しい、分かって欲しい。
けれど、いざ人に長所を見られると、自分がいかに良くないかを証明したくなる・・・。」
おぉ、それはまさに悪魔の業?とも言えそうな感じでもありますが、僕達にはそんな裏腹な気持ちが存在するのかもしれませんね。
さて、心理学では
「自分が自分を偽っていないか?ウソをついていないか?」
というのはとても大きな意味を持つと考えるんですよね。難しい理論は置いておいて、そういう考え方があるんです。
「自分が自分を偽らず、ウソをついていない状態である」=「自分の内面と言動が一致している」ことになるからですね。
自分の内面と外側が一致していない時って、凄くストレスを感じたり、自分を嫌悪しやすいもの。
逆に、どこか「隠しておきたいわたし(わたしの中にある悪魔?)」のように感じる部分を、「それでいいよ」と自分の心の中で認めると、何故か私たちは楽な感覚を感じることがあるんですね。
それは悪魔?な部分だけでなく、「未熟だ」「恥だ」と感じる部分も一緒ですね。
例えば、
確かに私はやさしい。でも、冷たいところもある。
それでいいんです。どっちも私。
その上で、どんなわたしを選ぶか?だけなんです。
逆に、「優しい人であるには、もっと大きな優しさを持ち、毎日ブレない自分にならなきゃいけない。持てない私はダメなんだ」という発想・・・。
正直、できれば凄いし、その気持ちは良く分かりますけどね。
ただ、あまりにその発想に囚われ過ぎると、
「本当は優しくない私が、人に優しくしている」と心は感じ、「自分の内面と言動が一致しなくなる」可能性がある。
すると、「自分の行動の意味」が分かんなくなってしまいます。
たとえ、あなたがどれだけ素晴らしいこと、努力をしても、何だか自分が変わらない、何故か自信つかないなぁ・・・と感じるのは、そのためかもしれませんね。
むしろ、感覚的に「どちらの自分をも受け入れる」と、自分を過剰に責めなくてすみますし、自分を偽って生きることも少なくなりますからね。何故か楽になるんですよね。
「あなたはどんなわたしを隠しているでしょう?」
「何を偽って生きなきゃと思っていますか?」
そんな普段は隠している自分に「それでいいよ」と言えたなら、どんな気持ちになるでしょうか?
悩みが多い時ほど、あまり深く考えこまず、そんな声を自分にかけてあげてもいいのかもしれませんね。
今日は以上です。何か皆さんの参考になれば幸いです。
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