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失恋後、怒りや恨みが止まらなくなる、なんてこともありますよね
失恋と怒りはある意味セットで存在するもの。
僕はそんなお話をさせてもらうこともあるのですが、とかく手痛い失恋をすると自分でも驚くほどの怒りが(ときには恨みが)湧き出すことがあるんですよね。
「あいつ!絶対に許さない!」とか。
「もう地獄に落ちて欲しい」とか。
「相手が幸せになるなんて絶対にありえない!」とか。
僕もそのようなお話を伺うと、なるほどと思いながら伺わせていただくんです。
さて、失恋後の怒り、これはある意味当然に感じることだと僕は捉えています。
が、失恋後で辛いのに、更に怒りが湧くわ、好きだった人のことに攻撃的な思いを抱く自分に混乱して苦しくなっちゃう方もいるのかもしれません。
そこで今日は失恋と怒りについてのコラムをまとめてみようと思います。
また、今までにも今日のコラムとはまた違う切り口で失恋に関するコラムを書いていますので、こちらも参考になさってくださいませ。


「失恋」と「怒りという感情」について
失恋という喪失を体験すると、多くの人は怒りを感じるようになるものです。
なぜ怒りを感じるかというと、「失恋という現実を受け入れること」が辛いから、という場合が多いものです。
誰だって愛する人の別れを心から望むことはないと思うのです。
が、いろいろな事情があって別れることになるだけでもかなり辛いものなんです。
と同時に、失恋という現実・事実と向き合うこと自体にも、どこか嫌だとか、怖いと感じるものではないでしょうか。
また、多くの人が失恋という事実を前にして、すぐに怒るわけでも悲嘆に暮れるわけでもないんです。
失恋直後は「そんなの嘘だ」と信じたくない気持ちを持つものではないでしょうか。
が、時間の経過とともに別れという事実に現実感を感じはじめます。
すると、「怒り」を感じるようになっていくことが多いです。
この怒りはもちろん「愛した人(愛する人)」に向けられたものであることが多いです。
自分に怒りを向けてしまう人もいる
ただ、人によっては、この怒りを別れた相手に向けるのではなく、自分に向けてしまう場合もあるんですよね。
「怒り」には概ね3つの形態があり、「直接怒る」「自分を責める(引きこもり)」「何もしなくなる(受動攻撃)」があるんです。
もし、失恋という経験を通じて感じる「怒り」を自分に向けるとしたら、かなり強い苦しみや、時には孤独感や自分への失望を感じるようになる可能性が出てくるんですよね。
なので、僕としては、怒りがどこに向いているかもかなり注意深く見ている、とも言えるわけです。
個人的な見解を書くとしたら、怒りが激しく自分に向いている時は、無理に手放しのプロセスを進めない方がいい、とも考えている部分があります。
それはまるで傷ついた心に無理やり塩を塗り込むようなことになってしまうのではないか、と僕は考えるのです。
まずは少しゆっくりと自分を整える時間を作ってみたり、人に話したり、人のサポートを受けたりしながら、自分が感じている気持ちを消化していくことも重要と言いますかね。
多くの方がなかなか弱音を吐かないですから。
たまには弱音を吐ける場所や人があってもいいんじゃないかな、と僕は思いますよ。
失恋後に感じる怒りもまた重要なプロセス
失恋後に感じる怒りは、そのプロセスの中で感じるものであって、感じてはいけないものではない、と僕は考えています。
ときには、自分でもびっくりするぐらいの怒りが出てくることがあると思うのですが、それはそれだけ強い感情を伴い体験をした、ということなんでしょう。
もしくは、失恋という事実を受け止めることが苦しすぎて、怒りで感情に蓋をしていないとやってられん、という状態なのかもしれません。
もちろん、失恋という事実に蓋をするために怒りを感じることはあり得ることだと思います。
感情レベルの話をすれば、怒り続けているうちは悲しみや苦しさと向きあわなくて済むこともあるんです。
その結果、怒りを感じているうちはまだ楽だと思えるのですが、実際は更につらい気持ちを抱え続けてしまうこともあるといいますか。
そう考えると「失恋後に感じる愛する人に向けられた怒り」を感じることもまた、重要なプロセスだと僕は考えています。
(誰かに怒りをぶつけるんじゃなく、話を聞いてもらうことがベターなんでしょうけど)
怒りを感じ、次第にかかえている悲しみや苦しさを感じていく。
そのプロセスは確かにいい気分がしないものとも言えるのですが、しかしゆっくりと着実に丁寧に無理のないところから向き合っていくことで、徐々に心は解放の方向に向かうと考えることができるんです。
それは例えば怪我をしたときと同じなんだと僕は考えることがあります。
自分が怪我をした、と受け止めるから、治療に向かう。でも、怪我をしたことを受け容れたくないと思えば治療に向かわないかもしれない。
つまり、失恋に伴う怒り、悲しい、辛いという気持ちをちゃんと感じること次の進むプロせうなんだ、ということ。
このとき、僕たちカウンセラーはみなさんのサポート役としてお役に立てることがあるかなと思いますよ。
もう二度と愛し合えないと思うから感じる怒りもある
ちょっとチクッとすることを書くかもしれませんが、別れてしまえばもう愛し合えないわけです。
このとき、僕たちは「愛せない」ということで苦しさや痛みを感じます。
自分からの愛情や好意を示すことを止めなきゃいけないからです。
このときもまた、怒りを感じるでしょう。
「どうして好きな気持ちを止めなきゃいけないの」
「私はこんなに思っているんだからまたやり直せるんじゃないの?」
このような気持ちって、いいか悪いかは別にして「愛せないことで感じる苦しさ」によって生じることなんでしょうね。
このような意味での怒りを感じているうちは、やはり執着しやすくなるとも言えるんです。
それはまるで
「自分から愛することを止めなきゃいけないことが辛すぎて、ついやり直せる方法を考えてしまう」
というなんとも切ない気持ちによって生じることもあるでしょう。
いや、マジ切ないっすね、このあたりは。
ただ、自分で「愛を止めなきゃいけないことが辛すぎて、ついやり直せる方法を考えてしまう」と自覚できる人なのであれば。
きっと別れたことの意味も、人を愛することの意味もどこかでご存知なんだろうな、と僕は思うのです。
むしろ
「今のこの辛さや悲しさを消化できるまで、もう少しだけ相手のことを(怒りを感じながらも)思っていたい」
そんなふうに思っている方もいるんじゃないか、と僕は思うこともあります。
(その判断は僕も難しいですけど)
そんな方の場合、僕も積極的に「手放しましょう」とお伝えする必要はあまりなくて、ですね。
僕から「もうその人は手放しましょう」と言って欲しいと思われている人もいるのかもしれませんけど(^^;
ただ盲目的に、別れが辛すぎて執着しているのとは少しわけが違うかな、と思うので、じっくり時間をかけていけば手放せるようになる方も多いと思います。
もちろん丁寧に感情を消化しながら、ですけどね。
手放しとはもう一度幸せと手をつなぐプロセス
最後に「手放し」について少し触れておきます。
手放しとは自分を自由にするもの、とよく言われますが
僕は「手放しとはもう一度幸せと手をつなぐプロセス」だと考えている部分があります。
が、失恋後という時期は、自由になることをどこか怖れていたり、手をつなぐ幸せが目の前にないことが多いもの。
だから、なかなか手放しが(その重要性は理解しながらも)進まない、という人とも少なくないのかもしれません。
※手放しについてのもう少し突っ込んだ解説は次のページにありますので、よろしければご覧になってくださいね。

ただ、手放しは自分の気持ちをごまかしながら行うものじゃありません。
むしろ手放しを目的にして焦って行動しても、空振ることも少なくないので要注意なんですよね。
辛い気持ちも、悲しみも
自分のペースで、無理せず丁寧に解放していってから行うことで
心からの感謝や許し、また人を愛することへの許可が下りやすくなるんです。
また、失恋から学ぶこと、次に生かせることも手に入ります。
僕が「手放しとはもう一度幸せと手をつなぐプロセス」と考えている理由はこのあたりにあって。
自分自身が上手に愛せたこと
愛せなかったこと
受け取れなかった相手の気持ち
分からなかった相手の気持ち
さまざまなものから学びを深めて、次の幸せにつなげる。
より愛し上手、受け取り上手な自分になっていく。
だから、自分の気持ちには嘘をつけないわけで、怒りや悲しみなどを受け容れ、そして解放していくことが優先されるんです。
それこそが手放しの準備であって、手放しだけ無理やりゴリゴリやるのはちょっと違うかな〜と僕は思うのですよね。
ただ、例外があって、それが癒着しているケース。
この場合は、若干痛いけど「別れた」ということを受け容れてもらうことが重要になることもあるんですけどね。
ま、今日は少し難解な話を書いたかもしれませんが、何か皆さんの参考になればと思っております。
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