恋愛の心理学

人に甘えることが苦手。好きな男性の前でも強がっちゃう人の癒やしのプロセス

人に甘えることが苦手なタイプほど、愛し上手。だから癒やしを起こすには・・・

浅野寿和さま

いつもブログやきくまるでいろんなことを学ばせて頂いております^_^
さて、さっそくですがネタにもし使って頂けたらなぁと思い、メッセージをさせて頂きました。

私は先日、私が責任者としてやっている職場に非常勤で来てくださっている女性とちょっとした言葉の受け取り方の違いで険悪な感じになってしまいました。

どちらが悪いとかではないのですが。

最初はLINEでのやり取りだったため、文字では余計に誤解を招くと思い私は電話で話したかったのですが、相手が感情的になってしまい、電話を受けてもらえず、けっきょくLINEでやりとりをするしかなかったのですが、やはり一度感情的になった相手と文字だけのやり取りでは、誤解が解けることはなく、、、私はただひたすら謝る、自分の正当性を主張しない、余計なことを言わない、ということに徹しました。

今回のことで自分を見つめたのですが、私は、お人よしですぐに人を「あの人はいい人だ」と思いがちなのですが、その分、いろんな人にその気持ち(期待?)を裏切られ、傷ついた経験がたくさんあるからなのか、「人を信じ切る」ことができないように思います。

その私の信じきれないという心の癖のようなものが、「そうは言ってもあなたはいつか裏切るのよね」と思うような心が出てしまったことが今回の行き違いを招いた要因のひとつであったと思います。

職場の責任者のため、相手が誰であっても言うべきことは言う!という変な正義感もありました。
今までの人生の中では正義を振りかざし、バッサリ相手を切る!ということもしてきました。

そのお相手とは、今日、職場で1週間ぶりに会い、会ってすぐにもう一度謝ろうと決めていたので、声をかけたところ「ハグをして終わりにしましょ」と相手の方が言ってくれ、そこでハグをしながら私は子供のように泣きながしっかりと思いを伝え、相手の方も時間を置いて冷静になったことで、私のことを理解してくれていたようで元通りの関係に戻ることができました。

相手の方は何度も抱きしめてくれたのですが、今日ハグしてもらったことでこの人をもっと信じさせてもらいたいと思いました。

私は母親がいなく、父と祖母の3人暮らしです。
父は昭和のお父さん!!という感じでとても厳しい人。ほとんどコミュニケーションは祖母と取っていた感じだったのですが、私はあまり抱きしめられたという経験がありません。
可愛がってないからとかではなく、ただただそういうことがないというだけなのですが。

だからなのか?私は人に甘えることが不得意です。自分からスキンシップをすることは躊躇してしまい、できません。

好きな男性にも弱みを見せることができなくて、強がってしまいます。好意を知られることが怖いです。

これって、人を信じきることが怖い、ということに繋がってますか??

職場の女性は私のことを信じてくれているから、一度は感情的になってしまったものの、許してくれたんだと思います。

そんな風に私を信じてくれる人がいるんだってことに今日改めて気付くことができました。
人を信じきることが怖い私。

でも、そんな私でも嫌いにならないで受け入れてくれる方が今は周囲にはたくさんいるように思います。(まだまだ会社の他のところでは、嫉妬され、重箱の隅をつついて私のミスを指摘してやりたい!という女性たちはいますが)

愛されてる自分に気付くこと→人を信じられるようになる(=愛すること?)という方程式は、心理学的には合っていますか??

かなーりアバウトなお話しになってしまいましたが、浅野さん、こんな私はさらにどうしていけばもっと人を信じることができるようになるでしょうか??

もしネタとして扱って頂けたら幸いです^_^

ネタ募集ネーム:はーたんさん

 

はーたんさん、おまたせしました。ネタのご協力ありがとうございますm(_ _)m

なるほどなるほど。人に甘えることが苦手なのですね。だとしたら、素敵な親密な関係を作る要素は十分にお持ちだということですね~。

いきなり結論だけ書いちゃいましたけども。

では、ご質問にお答えしつつ解説編へ。よろしければどうぞ。

愛されている自分に気づくと人を信じられるようになる?

愛されてる自分に気付くこと→人を信じられるようになる(=愛すること?)という方程式は、心理学的には合っていますか??

はい、僕はそのとおりだと思います。

自分が愛されていることに気づくということは、「自分は人から愛情を向けられる存在なのだ」と感じられます。

自分のことを受容できた分だけ、そう感じられるようになるものなんですよね。

すると、投影の影響で、人の好意や愛情が「私に向けられたものだ」と感じやすくなります。自分で自分を受け入れているから、自分と同じように人は自分を愛してくれていると感じられる、というわけです。

ただ、今回いただいたご質問を読ませていただくと、悪い意味でお伝えしたいわけじゃないのですが「頑張って人を受け入れようとか、愛そうとする」ということだけに意識を向け続けようとすると、自分を受容するという部分から外れてしまう場合もあります。

このあたりが癒やしのプロセスと、頑張るプロセスの違いになることが多いものなんですね。

今回のことで自分を見つめたのですが、私は、お人よしですぐに人を「あの人はいい人だ」と思いがちなのですが、その分、いろんな人にその気持ち(期待?)を裏切られ、傷ついた経験がたくさんあるからなのか、「人を信じ切る」ことができないように思います。

その私の信じきれないという心の癖のようなものが、「そうは言ってもあなたはいつか裏切るのよね」と思うような心が出てしまったことが今回の行き違いを招いた要因のひとつであったと思います。

なるほど。

僕の経験上、「あの人はいい人だ」と思いがちになる方って、「いい人であってほしい」という願望を持ちやすい人、といえるんです。いわゆる「期待」でもありますけど。

そもそも自分から人を疑いたくないと感じている、といいますか、ある意味「自分の理想」を相手に映し出しやすい、といいますか。

だから、自分が思った通りの「いい人」でなかったとき、落胆してしまうんですね。どこか「そうよね、自分が理想を求めただけだよね」と理解しながらも、がっかり感が拭えないといいますか。

何より切ないのは、自分が「この人はきっといい人だ」と確信を持ったあとで落胆すること。この場合はどうしても感情的に相手に詰め寄りたくなります。なぜなら「私はあなたにこんなに期待したし、信じたのに」と思うから。

どうしても自分の気持ちを理解して欲しくなるものだと思うのです。

しかし、こういった体験を何度も経験すると、信じ続けることに疲れるわけですよ。だから「きっと裏切られる」と思うことで落胆に備えるようになる人もいます。

いわゆる「どうせ」という言葉に代表される「期待しない」という行為によって、がっかり感を感じないようにしているわけです。

もちろんそれでもがっかりすると思うんですけど。

だから、人を信じ切ることができない、とお感じになっているのかもしれませんね。

ただし、この場合、信じ切れないことが、真に人を信頼できないということなのか、それとも「いい人であってほしい」という願望を相手に映し出し、その期待が裏切られることを怖れているから相手を信じきれないのか。

この違いをじっくり探っておいたほうがいいと思うのです。

なぜなら、僕はこのご質問を見て、はーたんさんが人を信頼しようとされている姿が思い浮かぶようでしたし、何より人を信頼したいと願っているのはあなた自身なのだろうなと思うからです。

でなければ、分かり会えないことで傷つくことはないのではないでしょうか。

「それが愛ならば傷つくことはない。しかし、思いがなければ傷つくこともないだろう。」

僕は常々そう思っています。

 

今の自分・ご家族との関係性を探る

私は母親がいなく、父と祖母の3人暮らしです。
父は昭和のお父さん!!という感じでとても厳しい人。ほとんどコミュニケーションは祖母と取っていた感じだったのですが、私はあまり抱きしめられたという経験がありません。
可愛がってないからとかではなく、ただただそういうことがないというだけなのですが。

だからなのか?私は人に甘えることが不得意です。自分からスキンシップをすることは躊躇してしまい、できません。

好きな男性にも弱みを見せることができなくて、強がってしまいます。好意を知られることが怖いです。

これって、人を信じきることが怖い、ということに繋がってますか??

今までの話は、この部分につながるんですよね。

では、一つ一つ心理解説と癒やしのプロセスについてご説明していきますね。

まずご質問の答えだけ書きますと、僕の経験上、あなたが怖れているのは「今の自分自身の内面が変容すること」である可能性が高いでしょう。

といいますか、これが僕たちが怖れていたり、うまくできないことの殆どの理由なんですけどね。

ただ、この話だけを書いても意味不明なのですよねー。だから更に解説を続けます。

例えば、人に甘えることが不得意な私。スキンシップに躊躇する私。弱みを見せられなくて強がってしまう私。好意を知られることが怖い私。

ほかにも「スキがない私」など、いろいろと親密な関係を苦手にする理由はいくつかあるのかもしれません。

実はこの自分、なんだかなーと感じつつも、しかし自分ががらっと変わってしまうことか怖いのです。

こういった「今」の自分って、僕は「今まで頑張って生きてきた自分」そのものだと思うんですよ。

言い方を変えれば、自分なりに頑張ってきた私。頑張るために登場した私。

今回のお話で言えば、甘えることが苦手で、スキンシップが苦手で、弱みを見せずに生きてきた自分。

 

しかし、そのように生きる事情があったでしょうし、その状態でも頑張って生きてきたと思いません?

まずこの自分を否定的に見ないことが癒やしのプロセスにおいて大切なことです。

ここを問題だと認識すると、より良い自分への変化や癒やしが進まないって罠が待っています。

なぜならこの自分は「人を信じず、人を裏切り傷つけるために」生きているわけではないからです。

むしろ、信じられるように、いや、人に信頼されるように生きてきた自分ではないでしょうか。

自分が傷つかず、弱音を吐かず、一人で立ち上がれるように努力してきた自分こそ、先に書いた自分そのものでしょう?

確かに、人に甘えることが苦手で強がっちゃうから、つい親密な関係を作りにくい状態になることは事実でしょう。

ただ、これは物事のマイナスの面を示しているだけで、同時にプラスの面だって存在するはず。

例えば、人に甘えることが苦手な人ほど、責任感が強かったり、自分としてどう向き合うか、と考えることができる方は多いです。

この自分を大切に扱うことがまず大きなポイントになります。

ただ、どうしても今の自分に問題意識を持ちたくなることも多いかもしれませんね。


もちろん当事者意識は必要なのですが、行き過ぎた問題意識は変わりたくない気持ちが強いときほど感じやすいものなのです。

(ちなみに好意を知られることは誰もが怖いことですねぇ。正確には恥ずかしいですけども。)

次に、ご家族のこと。

そこには沢山の愛情がきっとお有りなのでしょうね。

ただ、何がいい悪いというお話ではないのですが、たしかに親密感については少し距離がある環境なのでしょうか。

もしそうであるならば、自分自身が最も求めるものが親密感になって不思議ではないかもしれません。

もしそうであるならば、出会う人に「いい人だ」と思うことで、親密感を求める気持ちがずっと残っていても不思議ではないんですね。

つまり、今までのプロセスで「愛してほしい」「わかってほしい」という言葉を表現せず、頑張ってきた数だけ、つい出会う人を「いい人だ」と思う傾向が出てくるんですね。

しかし、実際に親密感を求める気持ちを表現しがたい葛藤・抵抗感も存在するわけですよ。

親密感を得られる、という「感覚」が、感情として慣れていない強い刺激になるんですよね。

そこで抵抗感が生まれるんです。

親密感を感じたい。でも怖いし、葛藤する。

この差を埋めるものが、普段の「努力」であり「誠実さ」であり「責任感」であるケースって意外と少なくないんですよね。

努力、誠実さ、責任を追う、ということで、相手とのつながりを求めようとするような気持ちですね。

かなーりアバウトなお話しになってしまいましたが、浅野さん、こんな私はさらにどうしていけばもっと人を信じることができるようになるでしょうか?

自分の中にある「愛してほしい」という言葉が表現できるようになると、ぐぐっと感情的にも楽になりますし、自分のイメージ、物事の感じ方も変容していくことが多いです。

ただ、現実の中でやっぱり「愛してほしい」って言いにくいでしょう?

もちろん素直に言える人ってすごいですけどね。

カウンセリングではセラピーなどの感情的なアプローチを用いることができるので、このセラピーという手法を通じて「親密感を求める気持ち」を解放していく事が多いですね。

僕たちは安心感、親密感を求めたい気持ちを抑えていると、人に近づくと葛藤し、近づききれないことも起こりますからね。

ただ、これが「人を信じ切れない」ということならば、人を信じているのはあなたそのもの、なのでしょうね。

こういったときは感情に目を向けて、自分の気持ちを認めて解放していくといいと思います。

以上、なにか参考にしていただければ幸いです。

ABOUT ME
浅野 寿和
カウンセリングサービス所属心理カウンセラー。名古屋を中心に東京・大阪・福岡で〜旅人のように〜カウンセリング・セミナーを開催。心理学は現実で使えてなんぼ、がポリシー。
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