こんな話を読んでいました
ある児童機関にお勤めの方のインタビューにこのような話があったんですよ。
「子供が学校にいけなくなったとき、子供はこう思ってる。
学校に行けない私はダメな子ですか、私には生きている意味も価値もありませんか」と。
そこで必要な言葉は「生まれてきてくれてありがとう、出会えて幸せだよ」だ、と。
全くその通りですよね、って感じたんです。すばらしいな、って本当に感じたんですよね。
ただ、同時になかなかこの言葉、肚をくくってないと言えないかもしれないな、とも思ったんです。
特に自分を疑っているとなかなか言えないんじゃないかな、と。
僕自身、こんな想像をしてみたんです。
もし子供が学校にいけなくなったとしたら、その気持ちにどう向き合うだろうか、と。
その時、親としての不甲斐なさを責め、自分のことばかり考えてしまわないだろうか、と。
それも我が子を思う気持ちから生まれていることとはいえ、意識が自分にばかり向かないだろうか、と。
おそらくそうなる可能性はある、と感じたんですね。
どれだけ意識していても、子供を思う気持ちがあるからこそ、自分を責めてしまう可能性は否定できないだろう、と。
愛があるゆえに、愛を届けられずにいた自分を許せないものではないか、と。
ただ、そうなると子供のことが全く見えなくなってしまうことも僕は知っていますから、意地でも意識を外に向けるでしょうけどね。
相手を見て、愛を与えているとき、自分の恐れや不安から抜け出せますから。
ただ、だからといって自分の中にある自責の念や不安をそのままにしておいたところで、燃え尽きちゃうかもしれないな、なんてことを考えていたんです。
誰かのために肚をくくることは「自分を受け取ること」ではないか
今回は親と子の関係での話でしたが、同じようなことは恋愛でも夫婦間でも対人関係でも起こりえることですよね。
本当に大切な人が苦しんでいる姿を見て、胸を痛めて自分を責めてしまう、ってことは、あってほしくないけど、きっと起こり得る。
実際にそのようなお話はたくさん伺わせていただいてきましたよ。
そんなとき、肚をくくって相手を愛するってなかなか難しい。自分の不安や怖れなどに手を焼いてしまって、正直そんな気持ちの余裕なんてない、って感じることだってあるでしょう。
相手が苦しんでいたのにどうして気づけなかったんだ、と自分を責めてしまうこともあり得るでしょうし。
それもこれも僕たちの中に「相手の役に立ちたい」「相手の喜びになりたい」という気持ちがあるからこそ起こることなんだろうな、と僕は思うのです。
だとしたら、ですよ。
確かに今、大切な人のために役に立てていない自分がいるのかもしれないけれど、だからといって今までの自分ってそんなに間違ってないってことにならないだろうか、って思うんですよ。一つの考え方ですけどね。
今までも、そして今も、大切な人のためになりたいと願っている(た)のは、自分ではないのか、と。
もし、自分の不安や怖れより、目の前にいる人を大切にできる自分になれる方法があるとしたら、たしかにそれは「相手のために肚をくくるってこと」なにでしょうが、それって「今までの自分をちゃんと認めて受け取る」ってことなんじゃないかな、と思うのです。
言い換えれば、自分のことをちっぽけに扱わないってこと。
よく「今まで何やってたんだろうって思うんです」というお言葉を伺うことがありますし、そのお気持ちは僕なりに受け止めさせてもらっています。ただ僕からすれば「自分なりに必死に生きてきたんですよね?」と思うだけなんです。
その時できることを行い、今まで生きてきたんですよね。
時には気が滅入ることも、落ち込むことも、しんどいことも、泣きたいこともあったでしょうし、嬉しいことも、充実感を感じられたときもあったでしょう。
そんなこんなのプロセスを生きてきて、そして今「大切な人のためになれない」って思ってらっしゃるんじゃないんですか、と。
だとしたら、その自分をどう見つめていくことがベターかを考えてみませんか。
よく「自分が自分に最も厳しい」「自分に向けている仕打ちを友人に対して行えば3日とたたず絶交されるよ」なんていいますけど、ホントそうだと思いますよ。
今、目の前に大変なことがあるとして、人の心はどうしたってその危機や問題に向いてしまうものだとは思います。
が、そんなときこそ深呼吸。そして自分の気持ちを整理していく。
できれば信頼できる誰かと話す。一人ぼっちにならないこと。
繰り返しながら、今の(今までの)自分をちゃんと受け止められるようになれるといいですね。
このような状態、心理学では罪悪感、自己攻撃、防衛などの言葉を使って解説することもあるのかもしれませんが、僕はただ「今までの自分を一度受け取ってみてはどうですか」ってお伝えしたいなぁ、と思うんです。
そりゃ大切な人が傷ついていたら罪悪感感じますよ。感じないようにすることのほうが難しいし、そんな自分が許せないと思うこともある意味しゃーないことですし。
ただ、自分ばかり見ていたら、相手のことは見逃すし、最悪な自分と出会い続けることにもなるでしょう。
だから、自分を受け止め、認める方向にものの見方を変えて、もう一度向き合える自分に立ち戻ることが大切なんじゃないでしょうか。
そしたら、言えるかもしれません。
「私はあなたと出会えて幸せだよ」と。
これ、理屈だけ考えていても言えないよなーと僕は思います。
心から湧き上がる温かな感情と、心の余裕があれば、きっと言えるんだと思うんですよ。
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