日常に使える心理学

自分を認めることへの「怖れ」

自分を認めることへの「怖れ」について

自分を認めることへの恐れとその疑問

今日は、自分を認めることへの「怖れ」や抵抗感に関してのコラム。

自分を認めましょう。その価値を認めましょう。

そんな話を聞いたことがある方もいるかもしれません。

自分が自分の味方になる。自分の良さを自覚する。

それはとても重要なことと言えるかもしれません。

が、この自分を認めることがなかなかできない、うまくいかないとお感じの方も少なくないのかも、という実感が僕にはあります。

実は自分を認めることに対する「怖れ」というものも存在するようなのです。

そこで今日は自分を認めることへの怖れについて、少しコラムにしたいと思います。

自分を認めることへの「怖れ」とは

さて、自分を認めることへの「怖れ」とは

自分を認めることで自分が何らかの怖れを感じるということでもあり

感じたくない感情と出会うということを示すことが多いです。

自分を認めることで、苦しくなる、怖くなる、よくないことが起きるのではないか

という思いが想起される状態、とも言えるかもしれません。

ただ、人それぞれで自分を認めることで感じる怖れと、その事情は異なるようです。

そこでいくつかの「自分を認めることへの怖れ」について考えてみたいと思います。

力(パワー)に対する怖れ

これは自分自身が秘めている力を認めることに対する抵抗としての怖れ、です。

例えば、「権威との葛藤」がそれに当たります。

権威との葛藤とは、文字のごとく世の中に存在する権威に対する葛藤。

平たくいうなれば、何らかの事情で権威や力を持っている人に対して攻撃的なマインドを持っているということでもあります。

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例えば、父親が社会的な権威的な立場にある人で高圧的だった、コントロールが強い人で、その父親を嫌悪する子供さんがいたとしましょう。

すると、実際には父親を嫌悪することにもなるでしょうが、父親が持つ力、立場というものに対しても、認めない、批判的な態度を取る場合があるでしょう。

その結果、自分自身が何かしらの力を持つということを嫌ったり、自分の内面にあるパワーを発揮することを禁止する、なんてことが起きることがあるんですね。

あれだけ嫌っている父親と同じような自分にはなりたくない、と思うからです。

が、実際は社会の中で生きる際に、自分自身に力を許す、努力してきた結果得られる地位を受け取る、といったことが求められる場愛も少なくないわけですね。

このときに

「自分の持っているパワーを認めたくない」
「自分がパワーを認めると人から攻撃されるのではないか」

といった怖れが出てくることがあるんです。

だから自分の力、その価値を認めないという態度を取り続けることになり、自分の力を認めることに怖れを抱くようにもなるのです。

魅力や目立つことへの怖れ

自分自身が魅力的であると認めることは、ある意味勇気がいることなのかもしれません。

例えば「勘違いだったらどうしよう」「裸の王様になってないだろうか」と思えば、自分に魅力があると勘違いすることをとても恥ずかしく感じるかもしれません。

ただ、多くの魅力を認めることへの怖れは、目立つことへの怖れである場合も多く、その怖れの理由は「嫉妬」にあることが多いでしょうかね。

そもそも僕たちが魅力的であるということは素晴らしいことです。

が、僕たちの内面には魅力的な人や何かに対する嫉妬心も存在するわけです。

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例えば、誰かが成功している事実や、幸せを得ている事実を前にして、それを喜び、心から祝福、承認する側に回るなら嫉妬は感じなかもしれません。

が、「いいよね、あんたは」「お幸せそうで何よりですねぇ」といった嫉妬を感じる場合だってありますよね、にんげんだもの(^^;

すると、今度は自分が魅力を認めたり、目立つことで嫉妬される、叩かれるという怖れを抱くこともあります。

また、自分に全く悪意がないにも関わらず、ただ自分が存在するだけで誰かから攻撃された、叩かれた、といった経験をお持ちの方の場合

「これ以上目立ったら更にひどい目にあうかもしれない」

という痛みによって、自分を認めることを怖がってしまう場合もあります。

これは本当に切ないことでもあり、その痛みを癒すことが優先される場合が多いですね。

愛せなかったという後悔(罪悪感)

これは

誰かを愛せなかった、傷つけた、つらい思いをさせてしまった

そんな後悔(罪悪感)が強く存在するがゆえに、自分を認めることに怖れを抱くケースです。

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言い換えるなら「加害者意識」によって生じる怖れや葛藤ともいえます。

僕たちは「自分が被害者である」と主張している方が、自分以外に悪者がいるという意味で気持ちが楽だと感じる場合があります。

が、そういった感覚を持ち合わせている分だけ、自分が加害者側に回ると、とたんに激しい罪悪感を感じることにもなるのです。

(だから、被害者意識を手放す意味での「許し」を進めることが自分のためにもなるのです)

こうなると、なかなか自分を認める、許すということができなくなります。

自分の培った力も、経験も、何の意味もなかった、価値なんてないと感じるようになる場合もあります。

それこそ罪悪感、自分は愛されたり認められるにふさわしくない、という感覚を強めてしまうんですね。

この場合は、自分を許すだけでなく

普段はなかなか意識されない「自分が許していない誰かを許す」といったことが求められる場合が多いですかね。

これ以外にも自分を認めることへの怖れは存在しますが、よくあるケースとしてはこのあたりになるのではないでしょうか。

自分を認めることへの「怖れ」は「許していない何か」とリンクしている

そう考えると、自分を認めることへの怖れや抵抗感というものは

自分の内面に存在する「許していない何か」とリンクしている、とも考えることができるのです。

力や権威を持つ何かを許していないから怖れる。
魅力を持つ何かを許していないから怖れる。
理想的な自分ではない自分を許していないから怖れる。

そう考えると、自己承認や自分の魅力を認めるという行為を通じてわかることは

自分自身が何と葛藤しているか

という心の状態だとも言えそうです。

そして、その葛藤にふたをするために自分を認めることをやめてしまう。

そんな場合も少なくないのではないでしょうか。

この視点で考えるなら、なかなか自分を認めることができないと感じるときほど

「私は誰を、何を許していないんだろう」

と考えてみるいいきっかけになるかもしれません。

それはすなわち

「今まで許せなかった何かを許す」という偉大なチャレンジであり

素晴らしい自分に近づくということを意味していることが多いんですよね。

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